こんにちは!Noonです!
最近こんな記事が話題になってますね!
『モンハン』動物虐待で喜ぶのは日本人だけ!? ゲーム性が再び問題視…
いやー僕やってないからわからないけど、ずいぶんリアルになってるんですってね!
僕はMHP3rdで一旦ブームが終わっちゃったんですけど、
心の中じゃもっかい一狩りいこうぜっって行きたいですねw
(ちょこちょこ最近のもやってみたものの続かず泣)
余談はこれくらいにして。
この記事、全国の狩人たちを賑わせちゃいましたね。
ツイッターではトレンド入りしてますよw
販売開始後から度々トレンド入りしているから、今度はなんだ?と思えばやっと批判系です。
批判は仕方ないですよね。いっぱい人がいるんだから。
批判側の意見は
「残酷・可哀そう・殺すことを楽しんでるなんて信じられない」とかですね。
一方狩人たちの意見は
「ゲームだから・他の○○と一緒・こんな批判自体がおかしい」とかですかね。
そして僕の意見
「批判側のその感性は大事」ですね。
批判側に立ってしまいましたw
狩人の諸君から「えー!裏切者ー!!」という声が聞こえてきそうですw
別に狩人たちのことを否定しているわけではないんですよ。
僕だってモンハン好きですし、ライズやりたいですよ。
ゲームするのをやめろとは言ってません。
残酷・可哀そうという気持ちがあることが大事だと思っているのです。
宗教チックになりそうですねw
なるべく言葉には気を付けたいのですが、変な誤解しないでくださいね。
あいつは偽善者だーとか言って指さすのやめてくださいね。恥ずかしいから。
今後、ただのデータに愛着が沸いて、一緒に生活するまで発展したこの世の中、
ゲームやアニメなどのメディアをただのデータとして見れない人が以前より増えてきた。
ということが言えるのではないでしょうか。
今回の記事にあった芸能人が「可哀そう」などの発言は、もしかしたら好感度アップを狙ったものかもしれません。
しかしながら、少なくともその言葉に感化され「そうだそうだ!」と言うひとはどうでしょうか。
中には本当に可哀そう・見るのも嫌だという人もいると思います。
または、情報が多すぎる世の中、影響を受けやすい人の情報発信力も大きくなったからかもしれなですね。
ただのデータ。
感受性が高い人。
情報発信の自由。
認識する者・受け取る者・発信する者
いずれもそう簡単に処理できるまでのレベルに僕たちは達していますか?
話がそれた気がします。
ただのデータに愛情が芽生えるような時代にそんなに簡単に批判を切り捨てる必要はないと思います。
お互いがどのように受け止めるかで、うまく共存していきませんか。
現実の狩猟の話が、たまたまモンハンの話になっただけで。
意味や想いは同じでしょう。
一体それは何百年前からの話ですか?
進歩していますか?
もしかしたら何千年も前かもしれませんね!
結論
「1000年前と同じ批判だよっ、だからいつもと同じように受け入れよう!」
いろいろ書いていたらすっきりしたので切り上げますね!
それでは!さよーならー!
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